【セルフインタビュー】あさはかな夢みし(藤原尊子編)
藤原尊子(藤原道兼女)
(984年-1023年)
瀧波:尊子は一条天皇の妻です。
一条天皇(980年-1011年)
ーーということは、今で言うと美智子様?
瀧波:それが…今と違って、昔は奥さんが何人もいたんです。それをわかりやすく描いたコマがこちら!
ーー多い!!
瀧波:天皇に取り入りたい人たちが、自分の娘をぶっこむ…いえ、嫁がせるんです。
ーーなるほど…。コマの一番上の定子さんは、若くして亡くなったんですね。
藤原定子 (977年-1001年)
瀧波:はい。13歳くらいの時に、10歳くらいの一条天皇と結婚して、そこから10年ほど夫婦として絆を育みましたが、24歳で亡くなりました。
ーーえ〜!結婚、早っ!そして亡くなるのも早っ…!
瀧波:定子さん、いろいろあって大変だったんですよ。道長が潰そうとするから。途中でまだ11歳の娘(彰子)をねじ込んでくるし。
ーーうわっ。
瀧波:でもふたりはとても愛し合ってたんです。興味ある人はこの本読んで!
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ーー突然、説明を丸投げしましたね。
瀧波:話すと長いんですよ。ちなみに、かの有名な清少納言さんは、この定子さんに仕えていました。
ーーこの定子さんと取って代わるようにして、一番手になったのが彰子さんですね。
藤原彰子(988年-1074年)
瀧波:はい、「父は藤原道長」っていう最強カードの持ち主です。そしてかの有名な紫式部は、この方に仕えていました。
ーー一条天皇と彰子さんは仲良しだったんですか?
瀧波:最初は、一条天皇は定子さんを忘れられなかったみたいです。
ーーそりゃそうですよね。10歳から10年余りを夫婦として過ごした人を簡単に忘れて、次!って行けないですよね。
瀧波:でも彰子さんも成長するに従って、少しずつ一条天皇と仲良くなって、子供も産まれました。
ーーよかった!
瀧波:ちなみにこの時代のマニアは、だいたい一条×定子派と、一条×彰子派に分かれますね。
ーーどっちのほうが深く愛し合ってたかという…?
瀧波:はい。一条天皇が亡くなる時に残した歌にある「君」が、定子のことなのか彰子のことなのか、今も意見が分かれているくらいです。
ーーえー!一条天皇、ちゃんと名前で言っておけばよかったのに。……で、今回のテーマの尊子さんが全然話に出てこないんですが…?
瀧波:いやもうほんと、めっちゃ蚊帳の外なんですよ。何を読んでも、定子と彰子の話ばかり。
ーーだって、面白いですもんねえ。
瀧波:そうなんですよ。でも、ここまでを把握してもらえたら、いかに尊子が蚊帳の外だったかは伝わったのではと思います!
ーー伝わりました!では次はいよいよ、尊子さん本人について教えていただきましょう!
(つづく)
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